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卒業生インタビュー(1回目)-油画

小林孝亘さん 1986年 油画専攻卒業

「大学を選ぶなら、好きな美術ができる美大・芸大へ」

1960年に東京で生まれた小林孝亘(こばやし・たかのぶ)さん。
国立国際美術館(大阪)、大原美術館(岡山)などに作品が所蔵されている、日本を代表する画家のひとりです。今回は小林さんが美術を目指し、愛知県立芸術大学を選んだ理由についてお聞きしました。

oil-interview-01-01

・・・・小林さんはなぜ「美術」を目指そうとしたのですか。

小林「理科系よりも文科系、スポーツのほうがもともと好きだったんです。高校のときにはアメリカンフットボール部に入っていたし、絵を描くことも好きでした。大学に行くか行かないかという選択肢のときに、普通の大学なら行く意味がないな、と」

・・・・それはどういう意味でしょう。

小林「経済学部とか法学部とかに進んでも、僕には具体的なやりたいことが見えなかったんです。また、アメリカンフットボール部のチームが弱小で、それが強かったら違ったのかもしれません。好きだった絵を描くことをしたい、やっぱり美術の方が継続してやりたい。大学を目指すなら美大・芸大に、と思いました」

oil-interview-01-02Portrait-resting cheeks in hands》
2006年 oil on canvas 162 × 130.5cm 西村画廊蔵

・・・・絵を描くこと以外の美術も好きだったのですか。

小林「彫刻というほどでもない、紙でコラージュするような『工作』のようなものは好きでした」

・・・・一般に、芸大・美大の受験対策は大変だと聞きますね。

小林「周囲に美術系予備校へ行ってる人は高校2年生くらいのときからいましたが、僕の場合は絵を描きはじめたのが高校3年生のときでした。石膏デッサン、最初は石膏像を見て描くのではなく、試験対策のような雑誌を見て、そこに載っている石膏デッサンの絵を見て、描いていたんですね。だから最初の年に受けたのは問題外で、当然浪人もしました」

oil-intrview-01-03《夏の記憶》
(大学時代の作品)

・・・・それは東京での話ですか。

小林「僕の生まれは東京ですが、中学2年生で大阪に引っ越して、21歳まで住んでいました。最終的に愛知芸大に入った年は、東京の予備校に行きました」

・・・・途中で受験をあきらめることはなかったのですか。

小林「落ちるたびに『次にやればいい』と考えて、結局4浪しています。親は2 浪までしか考えてなかったようで、あとはバイトしたり、新聞配達の奨学生で東京の予備校に通っていました。愛知県立芸術大学に受かったときは本当によかったです」

・・・・初めての愛知はどう見えましたか。

小林「今でも田舎ですが、もっともっと田舎でした。試験を受けに行ったときに覚えているのは、養豚場や養鶏場があったこと。まさかそんなところの近くに住むことになるとは、思ってもみなかったです」

oil-interview-01-04《Bus (Red) 》
2000年 oil on canvas 80cm × 75cm 国立国際美術館蔵

・・・・周りの友達はどういう人がいましたか。

小林「僕らのころは地元が愛知で、ひとり暮らしはさせられないから、という人がいましたね」

・・・・そんないろんな境遇の人たちが集まっていたのですね。

小林「一学年25人、という人数も少ないことや、東京に比べたら愛知は情報が少なくて、大きい展覧会があまり見られないということで、密閉されていて、友達と親密になれました。何かあれば集まる、お酒を飲む、ということが、振り返って見ると今ではよかったことです。そういう経験は、卒業して大人になってからも、この先も、そうできるものではないと思います」

インタビュアー・藤田千彩(アートライター)
取材日 平成24年7月30日

インタビュー2回目は、10月1日(月)公開予定です。